千暇日記(ちか)

唯の暇な人

風邪と黒猫

最後に日記を書いてから、気づけば5日程経っていた。

以前言ったように、私は三日以内坊主だ。

ご覧の通り、見事3日と続かなかった。

しかし、今回に限っては故意ではない。

確かに結果だけ見れば、3日と続かなかったわけだが、これには理由がある。

言い訳がましいと思うかもしれないが、弁明させてほしい。

 

昨年は、私にとって転機となる年だった。

生まれ育った地を離れ、新たな場所での新たな生活がはじまった。

不慣れなことばかりだったが、それでも生活を営むことができていた。

思い返せば色々あった。

そう、色々。

例えば、風邪とか。

それまで、ほぼ温室のような生活をしていた私は外的刺激なんてものに脅かされる心配もさほどなかった。

しかし、変化に完全に適応しきれていない身体は正直だった。

正真正銘、王道な風邪をまんまと引いたのだ。

新生活をはじめて一度目の風邪。

いい思い出だ。

なんというか、新生活の醍醐味のようなものがある。

けれどそれが醍醐味だと思えるのは、一度まで。

二度目からはただの厄介にすぎない。

そして、その年の季節の変わり目。

またしても、風邪を引いた。

しかも二度目。

先にも述べた通り、ただの厄介である。

そうして翌年。

今年は季節の変わり目も風邪を引くことなく、このまま年末を迎え、平和な年になるはずだった。

しかしここに来て、そいつはやって来た。

サンタクロースよりも早く。

11月。

予定があり、都心へと出向いた。

世界的な流行病があり、今年になってそれが緩和され、開催が4年ぶりとなったイベントに行くためだった。

10日間行われ、来場者数は111万2000人だったそうだ。

とても迫力があり、刺激的な一日だった。

が、それがいけなかった。

沢山の人、長い時間、極度の疲労

そうしてできた隙に、風邪はやって来る。

予想外の高熱と倦怠感、悪寒や咳、くしゃみなど、ありとあらゆる風邪症状の代表のようなものがどんどんと押し寄せて来て、今日になってやっと回復しはじめたのだ。

 

以上が、弁明という名の経緯と言い訳である。

まぁ、なんというか、非常に無念である。

 

そう言えば、風邪を引く前に、何度か黒猫を見かけた。

黒猫を見かけると、悪いことが起こるだとか、反対に良いことが起こるだとか、そんなジンクスがある。

では、黒猫を飼っている人はどうなんだ、というのは置いて、もし仮に私が黒猫を見かけたことで何か悪いことが起こったとするならば、間違いなくこの風邪だし、良いことが起こったとすれば、風邪で済んだということだ。

これもまた、表裏一体というか、紙一重というか。

つまるところ、どちらを信じるかは自分次第で、それによって物事の見方や進め方は変わるということであって、猫はいつどこでも可愛いし、存在までもが尊く、猫に振り回されるのさえ本望であって、なんなら猫に生まれ変わりたいとすら思う。

…とにかく、人は猫を前にすればみな無力だということだ。

黒猫にとっては、自分を見たことによって人間が不幸になろうが幸せになろうがどうでもよくて、人間だけがそんなことを気にしている。

人間だってそうだ。

自分が起こす行動が一体どれだけの影響を与えるのか、そんなことは行動を起こすより先には考えることはそう滅多にない。

蝶の小さな羽ばたきがやがて大きな竜巻を起こす、バタフライエフェクトのように、もしかしたら、ちょっとした小さなことで少しのズレが生じて、その少しのズレが重なって大きなズレになったりするかもしれない。

しかしどれも、後になってみなければ結果は分からない。蓋を開けてみなければ分からない。

そうまさに、シュレーディンガーの猫である。

結局全ては結果の上に成り立っているに過ぎないわけだ。

現に今あるもの全てだって結果の産物であり、同時に後の結果に繋がる要因なのだ。

些細なことで変化する。

これは、良くも悪くも捉えることができる。

そのどちらと取るか、これもまた自分次第だ。

人生、ポジティブにもネガティブにも生きられるのなら、どちらかといえばポジティブに生きたいものだが、時にネガティブというのは素晴らしく創造的であったりするから捨てがたい。

人間に生まれてきた以上、時と場合とたまの気分によって、人間らしくその都度選んで都合よく生きていってもいいのではないだろうか、なんて。

 

 

あ、そうそう。

ちなみに私は、犬派である。

 

 

さぁ、タイトルを付けて、今日はここでおしまい。