千暇日記(ちか)

唯の暇な人

はじまり

今日から日記をつけることにする。

といっても、この文を書くのは今日がはじめてではない。

私が日記をつけようと、はじめのページのはじめの行に書くのは、決まっていつもこの台詞から。

日記をつけようと試みて、何度も書いては消して書いては消してを繰り返し今に至る。

基本的には、ノートなんかに手書きで文字を綴っていくことのほうが好きだけれど、性格上、細かなことが気になって中々先に進まない。

例えば、文字の大きさは一定かどうかとか、文字の並びは真っ直ぐかどうかとか、文字の間隔は均等かどうかとか、こだわってしまう。

何度もノートのページを破り捨てては一から書き直すなんてことばかりをするものだから、必然的にノートのページ数は次第に減っていく。

けれどそれもはじめのうちだけで、間違いや誤りなんかがあっても、段々と真っさらなページが文字で埋まっていくのを、俯瞰的に眺めて実感すると、不思議と調和がとれているもので…

一部分だけに焦点を当ててみると不自然に感じるようなものでも、遠くから全体をみてみると意外にも自然に感じたりする。

 

日記をつける上で、私にとって問題となるものは他にもある。

一体何を書くのか、ということだ。

はじめのページは、言ってしまえば定型文のようなものを書けばいいわけで、それを幾度と繰り返してきた私にとっては容易いことだ。

しかし、その次の題材は何にしようか、そう考えた途端に筆が進まなくなって、キャップを外したペンの先が乾いていくのを、ひしひしと感じることになる。

けれど私は知っている。

書く内容が見つからないのなら、こんな風に書く内容がみつからず書けないということをひたすら述べれば、ページは次第に埋まっていくということを。

取り敢えず何かしらを綴ってみる。

案外それで、何となくまとまるものだ。

何となく、ではあるけれど。

 

そうして、最後に問題として浮き彫りになるのが、私の三日以内坊主癖だ。

これが悲しいことに、基本的にありとあらゆることが三日と続かない。

三日も続かない。

だから、三日以内坊主。

日記がそのいい例だ。

自分の名誉のために弁明しておくと、三日以上続いたものは基本的にある程度続く。

基本的に、ある程度。

曖昧と保険は、クソったれな現実を生きる賢い術かもしれない。

…と、つい話が逸れてしまうところだった。

これも私の悪い癖。

話題が脱線してどんどんと横道に逸れていくから、最終的にゴールを見失って、挙げ句の果てにスタートすら分からなくなって、路頭に迷う。

これは現実での方向音痴ぶりにも、見事なまでに反映されている。

だから、途中で終わった未完成で完成されたものだらけが増えていって、私の中は常に小さな何かで溢れかえっている。

そして忘れていく。

忘れたことさえも忘れていく。

そしてたまにふと思い出す。

熱しにくく冷めやすくて、ときたま過剰な集中力を発揮したかと思うと、すぐに鎮火する。

名前が付けられることの無かったものたちは、存在価値を失くして、行き場を失う。

私という人間が酷く混沌している生き物だから、人より調和を望むのかも知れない。

 

続かないなら、続けようとしなければいい。

ということで、気が向いたときにだけ綴ることにする。

日記とは名ばかりな、そんな私の徒然日記のはじまり。

 

 

さぁ、タイトルを決めようか。

今日は、これでおしまい。